前世の縁
親と子
おやとこ
育て、育てられた二人

一方の方
親であった側
もう一方の方
子であった側
この縁は、おふたりの役割が分かれます。実際にどちらがどちらの役だったかは、 お名前を入れて鑑定すると、お名前つきでお示しします。
前世の情景
薄暗い部屋で、親であった側が子であった側の額に手を当てています。熱が下がるまで、そこを動きませんでした。守る側と守られる側。その役割は、生涯ひっくり返ることがありませんでした。
前世のふたりの日々
親であった側は、自分の食べるぶんを削ってでも子であった側の椀を満たしました。子であった側が転べば駆け寄り、熱を出せば夜通し起きている。子であった側はそれを当たり前のものとして育ちました。与える側と受け取る側がはっきり分かれた日々で、親であった側は疲れていても、それを子であった側に見せることはありませんでした。
前世で、何が起きたか
親であった側が与え、子であった側が受け取る関係でした。親であった側は見返りを求めず、子であった側は十分に返せないまま別れました。返しきれなかった——その感覚だけが、子であった側の魂に残りました。
そのため、現世のおふたりは
親であった側が自然に世話を焼き、子であった側が自然に甘えます。年齢や立場と関係なく、その役回りになってしまう。親であった側は「放っておけない」と感じ、子であった側は「この人には気を許せる」と感じるはずです。
こんな相手なら、この縁かもしれません
- ◆親であった側が、つい子であった側の世話を焼いてしまう
- ◆子であった側が、親であった側にだけは素直に甘えられる
- ◆年齢や立場と関係なく、その役回りになる
記紀・歴史の中の、似た縁
伊邪那岐命と三柱の御子
『古事記』では、伊邪那岐命が黄泉の国から戻って禊をしたとき、左の目から天照大御神、右の目から月読命、鼻から須佐之男命が生まれます。伊邪那岐命は、この三柱にそれぞれ治める場所を分け与えたと伝えられます。親が子に役目を手渡す場面として、記紀の中でもよく知られた一節です。
この欄だけは創作ではなく、記紀や辞典で確かめられることを書いています。出典:コトバンク「天照大神」(世界大百科事典ほか)
この縁が力を発揮するとき
子であった側が新しいことに挑むとき、親であった側がそばにいると力が出ます。親であった側の見守りが、子であった側にとっていちばんの追い風になる縁です。
こじれやすいところ
親であった側が抱え込みすぎ、子であった側が頼りすぎることです。どちらも悪気がないぶん、役割の偏りに気づきにくい。親であった側が倒れて初めて、子であった側が事の重さを知る、ということが起こりがちです。
今世での活かし方
ときどき、役を入れ替えてみてください。子であった側が親であった側のために食事を用意する、親であった側が子であった側に相談を持ちかける。小さなことで十分です。受け取るだけだった側が返す番になったとき、この縁はようやく一巡します。
今世の宿題
役割を固定しすぎないことです。前世で一方通行だったぶん、今世は逆をやってみる。子であった側が親であった側を支える番になったとき、この縁は完成します。
※ 伝統的な姓名判断に「前世を読む流派」はありません。これは『古事記』『日本書紀』の八百万観——山にも川にも木にも石にも神が宿るという考え方——を土台に、 八百万の杜が独自に組み立てた読み物です。前世の実在を主張するものではなく、 ご自分の性質を別の角度から眺めるための、物語としてお楽しみください。 なお前世の縁も、いまお使いのお名前(ご結婚された方は結婚後の名字)から読み解きます。

