前世の縁
師と弟子
しとでし
技を渡し、技を継いだ二人

一方の方
師であった側
もう一方の方
弟子であった側
この縁は、おふたりの役割が分かれます。実際にどちらがどちらの役だったかは、 お名前を入れて鑑定すると、お名前つきでお示しします。
前世の情景
工房の隅。何も教えてもらえないまま、弟子であった側はただ師であった側の手元を見ていました。師であった側は背中を向けたままです。教えないことが、この師の教え方でした。
前世のふたりの日々
弟子であった側の一日は、師であった側より早く工房の床を掃くことから始まりました。道具に触れることは許されず、ただ見て、真似て、叱られる。師であった側は手本を見せても説明はしませんでした。弟子であった側は夜ごと、昼に見た手の動きを思い出しながら、ひとりで木切れを削りました。何年も、そうして技が渡されていったのです。
前世で、何が起きたか
弟子であった側が師であった側を越えた日、師であった側は何も言いませんでした。褒めることも、悔しがることもなく、ただ道具を置いて出て行きました。その意味を弟子であった側が理解したのは、自分が師であった側の年齢になってからでした。
そのため、現世のおふたりは
弟子であった側が師であった側から、自然と学びます。師であった側にその自覚がなくても、弟子であった側は勝手に吸収していく。「この人からは学ぶことがある」という直感が、出会った瞬間に働きます。
こんな相手なら、この縁かもしれません
- ◆弟子であった側が、師であった側の言葉を長く覚えている
- ◆師であった側が、弟子であった側にだけは厳しくなってしまう
- ◆教わったつもりがないのに、やり方が似てくる
記紀・歴史の中の、似た縁
観阿弥と世阿弥
記紀に師弟の物語は多くありませんが、日本の芸の世界には、教えが書き残された例があります。能を大成した世阿弥は、父であり師でもあった観阿弥の教えをもとに、能楽論『風姿花伝』を著しました。応永7年(1400年)ごろから書き継がれたもので、師から受け取ったものを次へ渡そうとした記録です。
この欄だけは創作ではなく、記紀や辞典で確かめられることを書いています。出典:コトバンク「風姿花伝」(デジタル大辞泉・日本国語大辞典)
この縁が力を発揮するとき
何かを受け渡す場面で力が出ます。仕事の引き継ぎ、技術の習得、家のしきたり。師であった側が持っているものを、弟子であった側が驚くほどの速さで自分のものにしていきます。
こじれやすいところ
言わなくても伝わると思い込むことです。師であった側は察してほしいと思い、弟子であった側は認めてほしいと思っている。互いに言葉を惜しむうちに、すれ違いが育ちます。
今世での活かし方
師であった側は、ひとつだけでいいので、弟子であった側を言葉で認めてください。弟子であった側は、教わったことを書き留めておいてください。前世では残らなかった「言葉」を今世で残すことが、この縁の宿題であり、いちばんの贈り物にもなります。
今世の宿題
言葉にすることです。前世の二人は、大事なことをほとんど言葉にしませんでした。伝わっていると思っていたことを、今世では確かめてください。
※ 伝統的な姓名判断に「前世を読む流派」はありません。これは『古事記』『日本書紀』の八百万観——山にも川にも木にも石にも神が宿るという考え方——を土台に、 八百万の杜が独自に組み立てた読み物です。前世の実在を主張するものではなく、 ご自分の性質を別の角度から眺めるための、物語としてお楽しみください。 なお前世の縁も、いまお使いのお名前(ご結婚された方は結婚後の名字)から読み解きます。

